イベント21 社会科見学~平和について学ぶ~

こんにちは!

2代目CC 三坂です!!
今回は、イベントGO制度を使って、エデュケーション委員会の行事に参加したレポートブログです!

今回行ってきた所は、埼玉ピースミュージアム  !!

ここは、わが国、埼玉県、東松山市にある戦争に関する資料館です。

今回は、戦争を体験した方の話が聞けるということで、関東の社員に声をかけて、東京支店のメンバーが私含め6名参加しました。

コバトンが、「ようこそ」って言ってる

まず、講演を聞く前に、戦時中の服やヘルメットが展示してあったので、みんなで体験してみました

エデュケーション委員長M君

このヘルネット、鉄でできているので、今のヘルメットとは違って、結構重いんです。ジャケットも、少し重い素材でできているので、暑いし。

この格好で夏に戦争に行くのは、私だったら厳しいなと思いました。

マネージャーは平和という字をバックに

重そうSさん

このリュックは、実際に兵隊が背負っていたと同じ重さにしてある(18KG)の物です。武器や、食料をこのリュックにいれて、戦地へ行っていたみたいです。

さて、本題の学びコンテンツ

戦争の悲惨さと平和の尊さを伝える「戦時中の体験を聞く会」に参加させて頂きました!

次回の社内MBAで、地域・本気本音というテーマがあります。地域=関わるべきすべての人とイベント21社内MBAで定義づけされており、頭ではもちろん分かっているが、実際、地域について戦争を通して色々考えてきた人たちからお話を聞くことによって、より地域について考えられるのでは?ということで企画しました!

今回、お話ししてくださった方は、現在87歳。戦争中の体験を埼玉県の小学校や教職員に向けて精力的にお話しされている方です。

戦争当時(昭和17年)、ドラマとかでも見るように、日本が勝った!と盛り上がっていた時期があったそうです。授業をなくして、皇居までパレードしに行くような盛り上がりだったそうです。

しかし12月になると、空にB29 がとんだり、戦争が身近になってくるそうです。この時期、サイパンを米軍が抑えて日本への空襲の準備をしていたそうです。

この語り手さんの兄弟は、疎開し 小学校6年生だった本人と小学校1年生の弟が残ったそうです。食事も、配給で満足にとることができず、着物を直接農家へもっていって少しのお芋をもらうことですら大変な状況でした。昭和18年には、防空壕を作ったり、近くに爆弾が落とされたりする状況だったそうです。

昭和20年には、カーチスに乗った操縦士の顔が見えるレベルで空を走っているそうです。

「カーチス 戦闘機」の画像検索結果

この年の3月9日に東京大空襲がありました。この語り手さんは、この時は疎開していたらしいのですが、空襲が収まったころ戻ったそうです。上野に到着した時、凄い臭いがしたみたいです。あと一面焼け野原で、死体も転がっている状況だったと語ってくださいました。また、戦争孤児も沢山いて、数年間駅で暮らしたりしている子供がたくさんいたそうです。

こういった悲惨な、戦争を過ごした人は、思い出したくもないと話したがらない人が多いなか、やっぱり、平和であり続けるべきであると語り続けているそうです。

こういった、戦争や紛争が日本にいては感じられませんが、世界のどこかでは今日も悲惨な状況が続いているので、今度は世界に目を向けて、支援をしていったり、平和についての主張を日本から広げて生きたと思います。

この話を聞いて、地域、というのは、この地球上すべての人であると思ったのと同時に、平和ってすごいことなんだなと思いました。

昔は、ユニセフにお世話になっていたことも知らなかったし、教科書で勉強した知識しかなかったけど、実際にお話を聞くと、まずはもっと深く本質的な学びをしなければいけないとも思うし、勉強したこと、ここで真難波ことを発信せずにはいられないと思いました。

元気に講演してくださってましたが、後半には、つらいことを思い出し涙ぐみながら色々語ってくださいました。

このような貴重な経験をもっともっと、吸収して発信できるような人間になることが、地域への貢献の第一歩かなと思いました

ということで、みんなでピース(平和にかけて)

いい学びでした!

以上、東京の社会科見学レポートを終了します!

またね!